さかい目マタギ

サラリーマンと自営業、アメリカと日本、難聴と健聴 といった境目をまたぐことについて思ったことを書くブログ

【子供が難聴だとわかったら】子供の教育どうする?幼児期の教育方針についてのまとめ

(※こどもが難聴だとわかってすぐの親御さんを想定した記事です)

難聴に関わる医療や行政の手続きが落ち着いてくると、気になるのが幼児期の教育方針。
どうやって将来家族でコミュニケーションをとっていくのかという方向性にもかかわるので負担の大きい判断です。
恐らく、多くの方が聴こえるためのトレーニングをする教育をイメージされるかと思いますがそれだけではありません。選択肢を俯瞰して家族にとって最適な選択をする一助になればと思います。

 

教育方針は、
1. 聴覚重視型
2. 手話重視型
3. 併用型
に大きく分類できます。以下にそれぞれの特徴と、その教育方針を標ぼうする首都圏の主な教育機関を挙げます。

 

聴覚重視型

専門的には聴覚口話法と呼ばれます。90年代までの難聴者教育の主流な考え方で、聴こえるひとと同じように会話することを目指します。
病院などの医療機関では難聴を治癒する障害ととらえるのでこちらの教育方針寄りのアドバイスをもらうことが多いかと思われます。
当然耳で会話は聞き取れない(づらい)ので読唇術や発声の練習をしながらそのハンデを補います。難聴者によっても得手不得手がありますが、聴覚口話が得意なひとだと、傍目には難聴だとわからないくらい流暢に喋れたりします。

 

ただ、聞こえない(づらい)にもかかわらず読唇や発声をしなければならないので、相当な訓練が求められ、人によっては非常にストレスのあるつらい体験になるケースもあるようです。
また、そもそもですが人口内耳や補聴器をつけても完全な聴力を回復することはないので、近年は手話との併用が医療機関においても推奨(※出典要確認)されてきており、聴覚のみを活用した教育機関は少なくとも首都圏においては減少しているように思われます。

 

聴覚活用に力を入れていることで有名なのが、富士見台にある「富士見台聴こえと言葉の教室」です。学校というよりは塾のイメージで、親子ともきめ細かな指導をうけるとのことで、人気があり入るのが難しいこともあるようです。

 

手話重視型

専門的には手話法と呼ばれます。手話は日本語や英語といった言葉と同じように、独立した言語であり、それを使う人は「ろう者」という言語マイノリティーである、という考え方を大事にします。
手話にも厳密には区別があり、日本語の言葉や語順を手話に置き換えた日本語対応手話と独自の文法や語彙をもつ日本手話がありますが、後者を重要視します。日本手話は難聴者にとっての自然言語(=自然に身に着ける言葉)で、聴こえないひとにとって学ぶストレスの少ない言語といえます。


日本手話にも他の言語に劣らない豊かな表現があり、手話だからといって概念の獲得などに大きなハンデはないといわれています。
また、周りに耳が聞こえないことを受け入れる前提で生活しているコミュニティがあるためロールモデルの発見など将来のアイデンティティ形成で安定した環境でもあると聞きます。

 

ただ、聴こえるひとにとって日本手話はいわば外国語ですので、家族もきちんと手話を習う前提でないと将来こどものコミュニケーションがとりづらくなります。
また、耳が聞こえないこと「ろう」であることを大切にしているコミュニティですので、その存在を否定的にとらえる側面もある人口内耳については否定的な意見を持つ方が多いように思われます(※あくまで印象です)。
手話を第一言語として教える教育機関として有名なのが、品川にある明晴学園です。校長先生がろう(確か学校法人で戦後初)であるほか、手話ネイティブの先生が多く、ろうというアイデンティティを大事にしたい方にとっては理想的な環境です。



併用型

人口内耳の幼児装用の普及もあり難聴者の生活環境も変化がある中、どちらの選択肢も残す中間路線で、聴覚と手話両方の選択肢を残しやすくする考えかたです。多くの公立のろう学校はここに当てはまるのではないでしょうか。
人口内耳についても割とフラットに受けいれている印象で、難聴者でない親としては、受け入れられやすい印象です。


ただ、どっちつかずで言語習得やアイデンティティ獲得の点で中途半端になるとの批判もありますし、先生が対応する障害の得手不得手や関心を無視した人事異動などもあるようで、「この先生がいいと思って入ったのに、やめてしまった」というようなこともあるようです。

 

 

判断において重視すること

ここからはかなり私個人の考えになりますが、以上の選択肢を選ぶうえで大事にする観点を1つ。
家庭と学校におけるインプットの合計の最大化です。

 

当然ながら、教育は学校だけではなく家庭でも行われます。なので、家族がどういうコミュニケーションをとるのかというのが、学校での勉強と同等かそれ以上に重視されたうえで選択がされるのが良いと思っています。
例えば、他の家族は聴こえるひとで、子供だけが難聴の場合、学校での学びは手話重視が最大化されるかもしれませんが、家族が手話についていけない場合、家庭での学び(例えば生活、社会、価値観などについての学びなど)が少なくなってしまいます。同じ家族で、聴覚重視にした場合、普段から一緒にいる家族とのコミュニケーションはまぁまぁできるが、聞くのが苦手なのに聴覚のみで学ぶために学校での勉強の理解がおいつかないというケースもあるでしょう。


医者や難聴コミュニティはそれぞれの立場からの助言はしてくれますが、だれも家族の幸せについて責任をとれないですし、家族とのコミュニケーションや家庭でのインプットを踏まえてはくれません。

前提となる家族構成はなにか、家族はどの程度手話を学ぶのにリソースを使えるのか、子供が相性のいいコミュニケーション手段は何かなどを総合的に踏まえて考えてみてください。

 

筑波技術大学という、聴覚・視覚障害者のための大学の資料で主な教育手法についてわかりやすく簡潔にまとまっている資料がありましたのでこちらもご参照ください
http://www.a.tsukuba-tech.ac.jp/ce/xoops/file/TipSheet/2008/5-ohta.pdf