そしてすべてはウィキになる。| 読書メモ:インターネットの次に来るもの
インターネットの次に来るものでは、インターネットの出現でもはや不可避になった世の中の動き(例えば、どんどんものがシェア化、サービス化されるとか)を語っているが、その中で本についての見方が面白かったのでメモ。
本によれば、いずれ本は言葉や概念がどんどんタグ化されていってついにはwikipediaの1ページのようになっていきます。またこれもwikipedia同様、万人がそれをアップデートしていくので、現在の本のように固定化されたストーリーやものはなく常にアップデートされていくそうです。
この考え方を突き詰めると、もはや本とか、記事とか、ブログとか、論文といった知の表現手段はどんどん境界線を失い、単に巨大な知の体系があるのみになりそうです。
知識版の人類補完計画。。w
この「知」には、既にいろいろな形で取得・保管・加工されている我々の消費行動やSNSでの発信なども含まれているので、もう既にこの巨大な知の体系づくりに我々は参加しています。例えばマーケティングコストなども、ある意味この知にアクセスするためにかかる費用ですが、aiやロボットで仕事が変わっていく将来、仕事の多くはこの知の体系の維持、強化、発展にかかわるものになっているかもしれませんね。
マーケティングデータ(=生活情報)あげる代わりに生活の糧を得るみたいな。
同時に思い起こしたのがgoogle翻訳が内部的言語を獲得したというはなし。翻訳技術の発達で、概念そのものをやりとりできるようになるんですね。
本という形態がなくなって知の体系がでてきたり、
言語という形態を超えて、概念がやり取りできたり、
いろんなものがメタ化していってますね。